校長先生が本を出しました!
長年、取り組んでいた福澤諭吉著作の現代語訳の本を上梓しました。
福澤は女性に関する問題について多くの著作を書いていますが、 今回、その中の「女大学評論」「新女大学」の2作品をわかりやすい言葉に直してみました。 語注も数多く記して読みやすい本になっていると思います。
以下、「はじめに」の文章を紹介します。
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はじめに
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という言葉はとても有名です。これは福澤諭吉が『学問のススメ』第一編の冒頭に述べた言葉です。「人は、生まれた時は、皆、平等である」との趣旨です。福澤は続けて「しかし世の中には立派な人もいれば愚かな人もいる。この違いはどこからきているのか。それは学問をしたかどうかの違いなのだ」と述べます。それまで、家老の子は家老、足軽の子は足軽、農民の子は農民と、その出自によってすべてが決まっていた江戸時代の門閥制度。その制度に何の疑問も持っていなかった人たちに「人は出自だけによって決まるものではありませんよ」と説きます。古い制度に縛られていた人たちにとっては目から鱗が落ちるような言葉であったことでしょう。
では、福澤がここでいう「人」とはどのような範囲だったのでしようか。現代の人たちに問えば「それは老若男女すべての人間を指す」との回答でしょう。私もその意見に異論はありません。しかし福澤がこの文を書いた明治5(1872)年の人たちはどのようにとらえていたのでしようか。「ここで言う人とは[男子]だけのことだ」と回答する人が大多数を占めていたことと思われます。福澤自身は「ここでいう人とは男性も女性も両方」と考えていたに違いありませんが、それは当時の人たちには理解不能な考えであったのです。門閥制度でがんじがらめにされていた時代が終わって間もない人々にとって、男性であっても生まれた家柄によって差別される風潮が残る中、女性は人とは認められず、あくまで男性の下、男性に従属すべきものだと考えられていました。
それを象徴するのが江戸時代に貝原益軒が書いたとされる『女大学』という書です。ここでいう「大学」とは現代の教育機関としての大学ではなく、四書五経のひとつである「大学」のことを言い「女が守るべき教則本」ほどの意味です。この書はあくまで、男尊女卑、男は偉い、女は男に従え、という、封建的隷従的道徳観で貫かれています。この書には多数の異版が発刊され、中には、附録として、手紙の書き方、季語の選び方、懐紙の折り方などという、確定された事実に基づいた記事も掲載されていたので、当時の女性が『女大学』本論で述べられていることも厳然たる事実であり反論の余地はないものと考えてしまったのも仕方のないところです。同時に、この書に書かれていることは男性にとって極めて有利なことだったので、男性側としても「ここに書かれていることは正しい」として女性に押しつけていったのです。
福澤はこの考え方に真っ向から反対します。西洋に学び進歩的な考え方を持つ福澤は、男尊女卑の社会に文明は訪れないとの考えの下、日本が文明化していくためには女性の解放が第一義ととらえ、この『女大学』を批判する書『女大学評論』と『新女大学』を著します。明治31(1899)年のことでした。
著者の祖母は加藤カツといいます。明治29(1896)年生まれなので僅か六年ではありますが福澤と同時代を生きた人です。カツは東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)に学び、日本のフレーベルと呼ばれる倉橋惣三の薫陶を受け、幼児教育の道を志すことになります。倉橋は名古屋市教育委員会から幼稚園教員派遣の依頼を受け、カツを名古屋に派遣することとなります。倉橋の指示の下、カツは名古屋市立幼稚園の教員となり、昭和6(1931)年からは名古屋市立第一幼稚園園長として幼児教育の最前線に立つことになります。そして、第二次世界大戦終戦の昭和20(1945)年、50歳の時、女性の教育機関としての名古屋文化女性クラブを設立します。
大戦が終わり、民主主義の新しい時代の到来とともに女性を解放しようとする時流が高まります。時代は女性の参政権を認め、女性を登用する社会が到来しようとしていました。その時流をいち早く感じたカツは二つの理念を持っていました。
「女性は男性の従属物ではない。女性は男性と互して生きていかねばならない」
「そのためには手に職をつけ経済的に自立する必要がある」
これら理念を元に、カツは、名古屋文化女性クラブを教員免許取得の学校へと再編成して、職業としての幼稚園教員を養成していくことになります。
加藤カツの死去後、その理念は長男の加藤重也に継がれ、重也死去後は私が継いでいます。私は、現在、幼稚園教員・保育士養成校といくつかの幼稚園・保育園・認定こども園を運営しています(2園は海外園)。専門学校では高等学校卒業の女子学生の指導にあたり、幼稚園・保育園・認定こども園では0歳〜5歳のこどもたちと過ごすとともに、20代から40代の保護者(母親)と接することが多くあり、その中で女性の地位に大きな関心と不安を持っています。
確かに、今、「男尊女卑」という言葉は死語になりつつあります。若い世代の人たちではその言葉の意味を知らない人も多くなってきています。それでも女性の地位が完全に担保されているとは言い難いのではないでしょうか。近年では、サウジアラビアでやっと女性に車の運転が認められるようになった話や、我が国では、医科大学で女子受験生の得点を減点して女子が入学しにくいように調整する等、男性と女性の平等という基本中の基本の事柄が完全に達成されているとは言えません。そのような時代に、日本で初めて男性と女性の平等を訴えた福澤の著作を、若い世代の女性たちに示すことは意義のあることではないかと考えるようになりました。ある意味、時代は福澤の思想を超えた部分もありますが、19世紀に書かれたこれらの著作に21世紀に生きる私たちも学ぶべき点があると思います。
『女大学評論』と『新女大学』は書かれた時代も新しく、『学問のススメ』や『文明論の概略』等に比べずっと読みやすいものとなっていますが、それでも若い世代にとっては福澤の思想を正確に読み解く事は困難であると感じます。そのことから、若い世代にとっての、読みやすさ、とっつきやすさを第一義とした訳出に挑戦しました。よって、原文にはない、目次、段落、小見出しが数多くあります。分かりやすさを追求するあまり、訳の正確さを欠く部分や福澤の文章の美しさを伝え切れていない箇所があることは否めせん。それでも、少しでも多くの若い世代の女性がこの名著に触れ、男性と女性の新しいあり方が前進していくことを願っています。
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